Flocke’s diary

バツ2で3度目の結婚、子供も社会人になりホッとした途端に更年期突入? 心と身体の変化や3度の結婚生活について書います。

仕事を始めたら

元夫の給料は当時手取りで23万。 家賃光熱費は、元夫の実家の持ち家だったので掛からなかった。 しかしそういう訳にはいかないので、少しではあるが毎月5万円元夫から渡してもらっていた。

元夫にはお小遣い毎月3万円、飲み代、タバコ代等はその都度渡していた。 外回りがほとんど、移動の合間に食べる為、飲み物は水筒、おにぎりやサンドウィッチを持たせることも多かった。 貯金はなかなか出来なかったけど、何とかやりくりしていた。

元夫の実家は建築関係の会社を経営していた。 義理の兄はそこで働いていたが、元夫は一般のサラリーマンだった。 元夫の実家は車で10分程の所にあるのだが、私たちの家の隣に倉庫があり、資材置き場にもなっている為、週に何度も義母が義父と一緒に孫の顔を見に来ていた。

元夫は友達も多かった。元夫が居ないのに(家の前に車が無ければ仕事だと分かるはず)普通に来て、元夫が帰ってくるのを待っている事もあった。 酷い時は、酔った状態で来ることもあり余り良い気はしなかった。

子供も2歳になり、保育所代も安くなるこの時期にと思いフルタイムパートで働き出した。 これで少しはストレスも溜まらないだろう〜と喜んでいたのも束の間…

義母さんが倒れ、入院。

検査の結果末期の胆管癌。手術をしたが手がつけられない程の状態の為そのまま閉じた。 もう長くはない事を知った。

入院した病院へは車で20分(バスだと乗り換えで1時間以上掛かる) 当時、義兄の嫁は二人の子供がいて専業主婦だった。 車を持っており運転もする。

私は当時免許を取っておらず、車も無かった。

私達は毎日の様に元夫が帰ってからお見舞いに行っていた。

徐々に義母さんは意識がなくなり寝たきり状態になっていった。

そんなある日、義父から仕事を辞めて義母の付き添いをして欲しいと言われた。 一瞬、え?と思ったが、今しかお世話が出来ないかもしれないと思い、せっかく入れた保育所も(働いていないと退所するしかないのと、保育料が払えないのとで)働き出した仕事も辞め、子供は私の実家に預かって貰った。

それから毎日バスで病院へ行き、義兄の嫁が持ってくるので、看護師さんと下着やパジャマを着替えさせ、日中お見舞いに来る親戚の話し相手をしていた(ほぼ全員が地元なので毎日来てくれる)

夜になると仕事を終えた元夫と2人で病院に泊まり、朝帰って夫は仕事、私はまた病院へと向かった。

そんな毎日が1ヶ月ほど続いたある朝義母は亡くなった。

その後は葬儀等で忙しかった。親戚も多く、会社の取引先の方など訳がわからないまま終わった。

たった1ヶ月だったけど最期まで看取れる事が出来て良かったと思う。

久し振りに会った子供は凄く大きくなった様に思えた。

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